xy色度図で見る セルアニメとテレビ放送の色空間の変遷

Bohfula / ボーフラ
執筆者: Bohfula / ボーフラ
xy色度図で見る セルアニメとテレビ放送の色空間の変遷

20世紀後半、日本のセルアニメーションの制作現場では、多種多様な絵の具が彩色に用いられました。 これらを現代の色彩工学で分析することで、当時の色彩設計スタッフの経験と知識の深さが見えてきます。

注意:資料やインタビューを通じてできる限りの調査を行いましたが、筆者はカラーマネジメントの専門家ではありません。もし誤りがあれば @loppo_gazai または mail@loppo.co.jp までお知らせください。

xy色度図:色の世界地図

xy色度図とは、色の視覚的な特性を表現するために用いられる手段で、色の三刺激値を基にしたCIE 1931色空間で表されます。 色彩の「色相」と「彩度」が二次元平面上で表現されるため、特定の光源や色によって生成される色域を視覚化するのに非常に便利です。

と言ってもなんのこっちゃだと思いますので、とりあえずxy色度図は「色の地図」だと覚えていただければ大丈夫です。 世界地図が地球上のあらゆる場所を表せるように、xy色度図では人間の目で認識できるあらゆる色を表現できます。

アニメカラーのオープンデータを用いて

太陽色彩社セル絵具(アニメカラー)の色空間マッピング NTSC 作成者:有限会社六方
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かつてのセルアニメーションの仕上げでは、透明なセルにも塗れる特別な絵の具が用いられました。アニメカラーの名前で親しんでいた方もいるかも知れません。 日本国内については、これを太陽色彩社とSTAC社の2社でほぼすべてを供給していたと言われます。セルアニメの産業需要が消失した現在では、2社とも供給を終了しています。

まだ制作現場に絵の具が残っていた2003年に、アニメーターの清積紀文氏が色彩計を用いて太陽色彩の573色を計測し、そのデータをインターネット上で公開しています。

この優れたオープンデータを用いて、アニメカラー567色【1】をCIE 1931色空間にプロットしたものが、冒頭のxy色度図です。

絵の具のロット差や撮影処理、フィルムの特性等によって、絵の具の色は放送時の最終的な色とは異なってしまいますが、それでも様々なことがこの図から分かります。

セルアニメの色とアナログ放送(NTSC色空間)

太陽色彩社セル絵具(アニメカラー)の色空間マッピング NTSC 作成者:有限会社六方

例えば、ここに日本のアナログテレビ放送で用いられていたNTSC-Jの色域(紫色の三角形)を重ねると、ちょうどよい具合にほぼすべての色が範囲内に収まっているのが分かります。 これはつまり、アナログテレビ放送は、アニメカラーの色を再現するポテンシャルがあるということを示しています【2】

NTSC色空間は絵の具の色域を考慮して作られた規格ではありませんから、まったくの偶然【3】、あるいは絵の具のほうが放送波に順応したと考えるのが妥当です。

このことから、当時の色彩設計の担い手たちは、経験的にテレビ放送の色空間を熟知していたことが示唆されます。 放送されるアニメが最終的にどのように見えるかを予測し、その制約内で最適な色彩を選択する。当人にとっては当たり前のことかも知れませんが、冷静に考えると驚くべき技能です。

デジタル放送への移行(BT.709色空間)

太陽色彩社セル絵具(アニメカラー)の色空間マッピング BT.709 作成者:有限会社六方

ブラウン管テレビから液晶テレビへと変わり、地上波テレビ放送もアナログ波からデジタル波へ移行します。 このとき、テレビ放送の色空間はBT.709に変わりました。BT.709は、WEBで一般的なsRGB色空間と非常によく似た規格で、NTSCと比較すると色域が狭いです。

BT.709の色域(白色の三角形)をxy色度図に重ねると、それなりの数の色が範囲外となっていることが分かります。 大雑把にいえば、従来では異なる色として放映できていた色彩が、デジタル放送では表現できないのです。

この変化はアニメの彩色に一定の混乱をもたらしたと考えられます。 色彩設計や撮影スタッフは、新しい色空間内で表現可能な色に適応する必要があり、これが一時的な品質の変動やスタイルの変化を引き起こした可能性があります。

また、ほぼ同時期に彩色工程のコンピューター化が進んだため、これも色彩の混乱に拍車をかけました。 セル絵具時代は200色前後の色を色票番号で指定していたのが、24bitのRGB値を保存したパレットによる指定になり、(モニターに正しく映るかは別として)指定可能な色数は1600万色まで飛躍的に増大しています。

4K UHD放送の開始(BT.2020色空間)

太陽色彩社セル絵具(アニメカラー)の色空間マッピング BT.2020 作成者:有限会社六方

昨今、家電量販店で販売されているテレビモニターの多くは4K解像度です。そして、解像度のみならず色域や輝度などの表現力も大幅に向上しています。 4K放送やUltra HD Blu-rayで用いられるBT.2020色空間は、非常に広い色域を表現可能です【4】

xy色度図に示したBT.2020色空間(オリーブ色の三角形)には、かつてセルアニメで使用された絵の具の色がすべて収まっていることが分かります。 これは、あくまで規格上のものである点に留意する必要はありますが、現代のテクノロジーがより豊富な色彩を再現できることを意味します。

昔のセルアニメ作品が4K HDRでリマスターされ円盤化される機会が徐々に増えているのには、このような技術的背景もあるのでしょう。 ただし、絵の具の色をモニターで忠実に再現してしまうと、それが当時の色彩設計が想定した放映時の色合いとは異なるものになってしまうので注意してください。

新規のアニメ作品において、この広大な色域を前提に制作環境を整えるのは、非常に骨が折れると思われます。 なぜならば、HDR時代のカラーマネジメントは専門性が高いだけでなく、テレビアニメは撮影より前の工程でのカラーマネジメントを事実上放棄することでデジタル放送移行に対応したという経緯があり、そのことの総括から始めなければならないからです。

事実、これまでにBT.2020色空間でのマスタリングを考慮して色彩設計された国産2Dアニメ作品は、まだ数えるほどしかありません。

終わりに

この記事では、アニメ制作における専用絵具がNTSC色空間とどのように整合していたか、そしてデジタル放送への移行に伴い、BT.709やBT.2020色空間で直面した課題について取り上げました。 色彩設計が放送色の限界を深く理解していたことと、技術進歩が今後もアニメーションの彩色に様々な影響を与えるだろうという2点は、とくに強調しておきたいと思います。 デジタル空間における映像の表現力は日に日に増していますが、これを創作に活用するには制作現場の技術基盤の整備が欠かせません。

六方では、セル絵具に関するデジタルアーカイブ事業を進めています。 この取り組みでは専門的な機材を用いてセル絵具の色彩値を測定しており、その数は800色におよびます。 現在は膨大なデータをひとつずつ整理中です。整備が完了したら、今回利用したオープンデータと比較するなどして、より多面的な分析を行っていきたいと考えています。 そして、これらの分析の成果は、制作現場の技術基盤の整備のために還元されます。

最後に、アニメカラー測定データの作成者である清積紀文氏に深く感謝申し上げます。

脚注

  1. 蛍光色と記載のあった6色をプロット対象から除いたため567色になっています
  2. 現実には、撮影処理やフィルムの特性等によって、絵の具の色は放送時には変わってしまいます。美術監督や色彩設計は、この変化を予め考慮して色を決めていました
  3. 測色に用いられたTOPPAN CS-CM1000の有効測定範囲が、たまたまNTSC色空間と同じだったという可能性もあります
  4. あまりにも広すぎて、残念ながら100%カバーするモニターは市販されていません
Bohfula / ボーフラ

Bohfula / ボーフラ

急須のような異形頭の個人ゲーム開発者。しばしば高橋に呼び出されて、六方画材店の運営やら広報やらを手伝わされている